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不断院のご案内Information


寛永七年(1630年)開山


不断院は寛永七年(1630年)東京都港区麻布(当時の麻布村)に専蓮社覚譽上人吞了大和尚が不断寺として設立されました。その後慶安二年(1649年)江戸浄土宗紫衣四か寺の一つといわれた天徳寺(港区芝西久保巴町・現在の虎ノ門三丁目)  内に寺域を移転し天徳寺の塔頭(たっちゅう)寺院となり不断院と名前を改めます。(*〈文政〉江戸府内寺社書上の記載より。) 不断院の当時の本寺である天徳寺は後奈良天皇から「光明山天徳寺」の勅額および紫衣論旨を賜わる寺院で、出雲・越前・津山などの松平家のほか、十数藩の江戸での菩提寺となった寺院です。
現在の港区虎の門三丁目10番11号、桜田通り(国道一号線)と愛宕山の間にありました。

江戸時代古地図デジタルマップ

地図は江戸時代の地図をデジタル復元されたものです。 スマートフォンアプリの「大江戸今昔めぐり」で現在と江戸時代の位置が確認ができます。
使用許諾 ©(有)菁映社、(株)APPカンパニー、中川惠司 2021/05

昭和まで港区虎ノ門の寺院

昭和中期不断院

不断院は昭和の初期まで出雲松平家の江戸における菩提寺で、能の観世流家元の菩提寺でもありました。大正時代松平家から寄進された袈裟や祀堂位牌など現在も保存されています。その後江戸時代から同所芝西久保巴町(現在の港区虎ノ門三丁目)にありましたが、江戸末期と大正時代の関東大震災で度々火災にみまわれました。新たに発展著しい東京西部に活動の場所を移すべく第二十四世現譽広学上人によって寺域の移転が開始されました。
写真は昭和中期の不断院玄関。

八王子の共生山・浄光寺・不断院へ

「共生山」山号額

八王子に移転する前の山号は慧日山(えにちざん)と称しましたが八王子移転に当たり当時の浄土門主総本山知恩院 門跡明譽実應猊下より山号を賜り共生山(ぐしょうざん)となりました、猊下の書は現在入口正面の向拝(ごはい)上に山号額として 飾られています。不断院の『不断』とは仏教用語で絶え間無い常日頃など意味で、阿弥陀仏の別名を不断光仏と呼び、念仏の修行方法の一つである「不断念仏」からきています、日常語の『普段』はこの不断からきた当て字で正式には不断をつかいます。寺院の名称には三号(さんごう)といって(山号・寺号・院号)と三つの呼び名があります。不断院では共生山(ぐしょうざん)浄光寺(じょうこうじ)不断院(ふだんいん)となり、通常は院号の「不断院」を使用しています。

平成4年(1992年)八王子の不断院落慶

昭和58年(1983年)に現在の境内地22,077㎡(約6,993坪)を取得後、数年にわたる協議調整の後、行政の許認可をへて現在の弐分方丘陵の一角を造成、平成4年(1992年)に現在の本堂・書院(客殿)庫裏・茶室などが完成落慶いたしました。 平成14年(2002年)には境内地に霊園「浄光の森聖地」並びに永代納骨・合祀墓地「ともいき」が完成し現在にいたります。

不断院全景

本尊阿弥陀如来


不断院の従来からの御本尊である阿弥陀如来は鎌倉時代作と伝わり釈迦如来とならんで裏堂にお祀りされております。 そしてご本尊と同様に「中品下生」(ちゅうぼんげしょう)の来迎印をむすばれた新たなお前立ちご本尊の阿弥陀如来が平成4年移転と同時に開眼され現在の御本尊となっております。従来のご本尊は毎年元旦(一月一日)の朝、初日の出をむかえた後に行われる修正会(しゅしょうえ)で本堂でご開帳されます。

不断院本尊阿弥陀如来

通常の朝のお勤めや、四十九日法要や一周忌・三回忌などの年回法要、また彼岸会や御施餓鬼、盂蘭盆会などの合同法要が本堂で行われます。

不断院
開山 寛永七年(1630年)
山号 共生山(ぐしょうざん)平成四年より前は慧日山(えにちざん)
寺号 浄光寺(じょうこうじ)
不断院 不断院(ふだんいん)通常使用・法人名
包括法人 浄土宗
法人承認番号 499(東京都承認)
法人登記 昭和27年9月24日
法人名 宗教法人 不断院
代表役員 大蔵健司(住職)
公益事業 墓地の経営・経営許可番号/13八保生き第55号・変更許可 2八保衛環収第635号
住所 〒193-0822 東京都八王子市弐分方町179 *寺務所受付時間9〜17時 ご来院の場合はご予約ください。
電話 042-652-2524 *電話受付時間8~20時 (なお葬儀等緊急受付は随時)
FAX 042-650-8128
E-mail info@fudan.jp(スパムメール対策で全角文字で表記しています) 資料請求・お問い合わせ からどうぞ
所属 浄土宗 東京教区 八王子組 (教区番号13・寺院番号39) ・八王子市仏教会 元八王子地区 No.80